良い嘘と悪い嘘。ぼくらが嘘をつき続けなければいけない理由。

この記事は4分で読めます


ビジネスで成功するためには嘘を使いこなす必要がある。

ツイッターにいる人達はよく「あなたを稼がせます!」といった類いの言葉を使う。これは何か保証をしているわけでもないし、嘘をついていると言えるだろう。しかも、おそらく稼がせてはもらえないし、そういった浅い発言しか出来ない人達をぼくらは胡散臭いと認識する。

一方で、ぼくが嘘をついていないか?と言われたら、それもまた違う。ぼくも嘘をついている。

原理的にはポジションを取って、おもしろい情報発信をしていけば、有名になって時間の問題でお金は稼げるようになるよねってことを何度も言い回しを変えて伝えているんだけど、別に再現性があるわけでもないし、ぼくの話を聞いて、実践したにも関わらず、結果が出なかった場合はぼくはその人に嘘をついたということになる。
 

だが、この世は嘘で構成されているのだ。例えば、友達と明日ご飯を食べる約束をすること。これも嘘だ。未来のことなんて誰にもわからないし、明日交通事故に遭うかもしれないし、突然病気になっていけなくなるかもしれない。

その約束が守られれば、嘘が真になるが、約束をした段階では嘘をついているということになる。コンサートの前売り券とかもそう。訪れるかもわからない未来に対して、約束してチケットを売っているわけだから、販売している段階では嘘をついている。コンサートが行われて初めて、嘘が真に変わる。

情報発信ビジネスも同じ。ぼくも含めて、全員が嘘つき。こうやったら成功出来る。こうやったらうまくいく。ぼくもそういうことはよく言うが、上記の内容を踏まえたら、この発言が嘘であることは納得できるはずだ。
 

では、全員が嘘つきなのに、胡散臭く感じる人と感じない人がいるのはなぜだろうか。

これは完全に読者の解釈による。その辺のビジネスマンもぼくも嘘をついていることには変わりないが、この嘘を未来において真にできる器の人だと読者に思ってもらえた場合のみ、その人のついていこうと思えるのだ。

胡散臭く感じられる人は読者にこの人についていっても嘘が嘘のまま終わるということを感づかれているからだ。要するに「月収100万円を稼がせます!」みたいなこと言ったとしても、コイツについていっても無理だなと読者に思われるから、胡散臭い認定される。
 

そう、嘘を真に変える力こそが情報発信する際に求められるスキル。おもしろい発信をして人を集めてファンを作り、ファンに向けて何か売ればいいじゃんということをぼくはよく言うが、全然ぼくがおもしろくもないし、1人もファンを作ることができないレベルだったら、あなたに胡散臭い認定されるだろう。机上の空論を言っているだけだからね。

ぼくについてきてくれる人はケッキング山田はすごいことを言っているけど、それを本当に実現してしまうんではないか?という淡い期待を抱いて、ぼくの記事を読んでくれている。

コイツはしょうもねーって思われたら、記事なんて読まれない。

よくプロ意識を持って発信しろなんてことがビジネスの世界では言われたりする。もちろん、自信がない人に人はついていかないから、これは正しい主張ではあるのだけど、読者にプロとして認めて貰うには「俺は嘘を真にする力があるんだぞ」ということを感じさせないとダメだ。感じさせることができない人は詐欺師と呼ばれる。
 

ここまで読んで、それじゃあ嘘なんてつかなければいいじゃんみたいな意見も出てくるだろう。だけど、全く嘘をつかず、事実を淡々と述べるだけの人はそもそもつまらないから注目を浴びることすらない。

おもしろくないから、スタート時点にすら立てないのだ。これは何度も言っていることだが、情報に価値はないのだから、いくらすごいことでもただ事実を列挙するだけでは誰にも見向きされない。

その人の人物像が見えないとダメ。気になることがあれば、検索すれば出てくるし、事実しか述べることができない人は他者を惹きつけることなんてできないのだ。
 

人は安定を求めているようで求めていない。可能性が100%になった途端に飽きる生き物だし、ぼくらは無意識のうちに不確実な未来、ランダム性というのを求めている。

人がギャンブルにはまるのもSNSにはまるのも、おもしろい人についていくのもランダム性によるものだ。

ツイッターは思ったことを適当につぶやくだけのツールなのだが、つぶやいたことをいろんな人に評価してもらえるという環境がランダム性を作る。「どれだけいいねつくかなぁ」という出してみないと反応がわからないからこそ人々はのめり込む。わかっているものに対しては人は興味を示さない。

カップラーメンを食べて驚くだろうか?ほとんどの人が驚かないはずだ。これは味をおおかた予想できていて、おいしいんだけど、想像の範囲内だからだ。
 

だけど、高級料理に人が驚きを示すのはそこで出てくる料理のクオリティが我々の予想を遙かに超えてきて、「こんなにおいしい料理があったのか!?」という風に良い意味で期待を裏切られるからだ。

高級料理店は季節ごとにメニューも変わるし、行く度に進化する。だから、リピーターが続出し、高級な店ほど一見さんお断りみたいな状態になる。

ビジネスではとにかく「良い意味でわからない演出」が大事だ。コンテンツは常に未完成だし、アップルは頻繁に新作商品を出すが、あれも良い意味でどんな風に進化しているかわからない。それ故に一定数のファンが何度もリピートする。
 

ぼくも記事のタイトルを見ただけではあえて、中身がどんな内容なのかわからないようにしている。それはわからないものを人は消費したいということがわかっているから。

本も同じだ。目次を読んで書いてある内容が大体想像出来てしまったら、興味は失せる。わからない異質なものを取り込むから学びになって成長するわけで、ぼくらはそういう未知なるものを本能的に求めている。

人生のおもしろさというのはどれだけ不確実性な未来に向かって、迷い無く突き進めるかにかかっている。いくら安全でも40年間同じことをしてくださいって言われたら、そりゃ楽しくない人生になる。ぼくらは死なないために生きているわけはなく、嘘を真に変えていくために今を生きているのだ。

だから、多くの人が見えていない未来を示してくれるリーダーに人はついていく。ファンビジネスとは何も機能的価値を売っているわけではない。
 

どのように進んでいくかわからない不確実性なストーリーを丸ごと売っているのだ。アイドルとかもまさにそうで、成長していく過程でマネタイズしている。ぼくもそう。「いくら稼いでいて俺みたいになりたければ、お金を払え!」というスタンスではおもしろくないし、もうそれは古い考え方。

これからは成功とか失敗とかどうでもよく、一緒に進んでいったらおもしろそう。そう思わせるような存在になり、人々を巻きこんでいかなければならない。

これはキングコング西野が言っていたことだが、自ら失敗を取りにいくことが大事だと。成功ばっかりだとストーリーとして成立しない。人は他人の失敗が大好きだし、そこから這い上がるストーリーはもっと好き。

だから、積極的に失敗して、そこから這い上がる生き様を丸ごとコンテンツにしているらしい。
 

ぼくもこの考え方は参考にしているし、人生とは株価のように変動するものだし、わからないから楽しい。変化を楽しめる人こそが本当の意味で人生を謳歌できると思っているから、失敗してもいいからとりあえず、なんかやってみる。とりあえず、ネット上で何か言ってみるということはすごく大事なことだなと思った。

そして、嘘を真に変えられるよう毎日成長しつつ、嘘をつき続けることがぼくらがやるべきことだ。

ということで、終わり。

Follow me!


  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • LINEで送る

関連記事

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

PAGE TOP