「知らないことを教える」は価値ではない。知識を得ることは進化なのか。

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本日、二記事目。なんかふと思ったことがあったので、思考を整理するためにアウトプットしておく。文字数は気にしない。少なくなるかもしれないし、多くなるかもしれない。

有名なインフルエンサーも含め、多くの人が言っている「フォロワーに知らないことを教えることは価値になる」という主張に対して、僕は非常に違和感を感じる。

ビジネス界隈とやらでは「初心者は初心者に対して、学んだことを教えていきましょう!!」みたいなことがよく言われている。もちろん、それが学んだことを定着させるためのアウトプットとしての役割を担っているのであれば、問題ないのだが、それが価値になるというのは間違っていると僕は思う。

これを進化の観点から説明していく。僕が誰かの発信によって、価値を提供されたなと思う時は「自分の脳のレベルが上がった、もしくはそのための経験値という名のきっかけをもらった時」だ。

脳のレベルが上がるから、人とは違う面白い発信ができるようになる。知識というのは誰でも使える普遍的なものだ。それを提供されたからといって、自分の脳のレベルは上がらない。その知識を持ったAさんと同じことが言えるようになるだけだ。

つまり、脳内に知識を入れるという行為は脳の状態が変化しただけで、思考力が研ぎ澄まされているわけではないのだ。面白い発信や人の興味を引く発信の根底にあるのは知識ではなく、思考力だ。思考力を強化するためのコンテンツでしか僕は価値を感じない。
 

今はスマホもある。パソコンもある。これからAIも発達してくる。そんな中、知っているか知らないかだけでしか差別化が測れない「知識」を提供することに価値があるのか。と言われれば、僕はそうは思えない。

もちろん、知識が不要だと言っているわけではない。知識は必要なものだが、それを直接行使することでしか発信できないのはちょっとまずいのではないかということだ。だって、みんな同じ知識を武器にして戦っているのだから。

特にビジネス系なんかはみんな勉強することは同じだ。マーケティングにコピーライティング、読んでいる本もほとんど同じ。

そして、みんなが学んだことを、それをまだ知らない人に教えるということをやっている。確かに、単発でかつ簡単に誰でもマネタイズする方法ではあるのかもしれないが、知識を教えれば教えるほど、教え子はファンにはならず、一人で知識を追求するようになる。つまり、長期的に、その教え子からマネタイズし続けることは不可能になるということだ。
 

学校の教師でもいただろう。教科書をただ読んでいるだけの教師。

そういうことをやれば、途中で生徒も独学でやった方が早いなということに気づく。そして、授業は聞かなくなり、自分で教科書を読むようになるのだ。

一定数、教科書を読んでいるだけの先生の言っていることを一生懸命メモとっているようなアホな生徒もいたが、そういう人は大体成績の悪い、真面目系クズに分類される属性の人だ。

ビジネスでも一定数、そういう属性はいるから、知識を横流しにするだけでも、稼げる金額は0にはならないかもしれない。だが、そういう属性が増え続けることはないので、ビジネスの規模が拡大することもない。

学校の先生の役割とは教科書をただ読むのではなく、それらを自分の魅力をアピールするための武器として使うのだ。

その先生自体が面白ければ、別に教える教科はなんであろうが、生徒は聞いてくれる。生徒が授業を聞くかどうかの基準は「科目の面白さ」ではなく、「先生の面白さ」なのだ。だから、面白い先生には何をやっても生徒は集まるし、つまらない先生には何をやっても誰も集まらない。

数学は大事だからとか、英語が大事だからとかは関係ない。先生がつまらなかったから、どんなに大事なことであろうが、生徒は自分で勉強する。対象の知識がどれだけ大切かは関係ないのだ。
 

人は潜在的に自分に新しい世界を見せてくれる人を求めている。

それは決して、知識を横流しにするだけの情報転売者の戯言ではなく、鍛え抜かれた思考から紡ぎ出されたその人自身の言葉を求めているのだ。

だから、その人自身の言葉であれば内容はなんでもよくなる。僕の記事も全部読んでくれている人は何人かはいるが、彼らも僕が書く内容では決めていないはずだ。完全に僕が書いているからという理由で読んでいる。

自分よりステージの高い人の思考を取り入れることで、自分もレベルアップする。

それが「価値」なわけで、知識を横流しにされても、一時的に「新しい知識フォルダ」のようなものが脳内にダウンロードされるだけで、ダウンロードしたものは時間経過と共に消えてしまう。

情報発信における価値とは読み手の思考をアップグレードするだと僕は思う。

ダウンロードしたものを価値だと錯覚させるのは健全な価値提供とは言わない。脳がアップグレードしていなければ、その人は永遠に自分の脳から何かを生み出すことはできないのだから。

知識という武器を与えることが価値なのではない。その武器の使い方を伝えることが価値なのだ。

そう考えないことには情報コンテンツが一般的な書籍より高額で取引される説明ができない。情報ではない何かを僕らは提供しなければならない。

少なくとも僕はそう思っているから、知識ではなく、読者の世界を広げるような「きっかけ」を作るコンテンツを今後も届けていきたいと思う。

ということで、疲れたんで終わり。では。

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