「考える」ことを考えてみた結果、出た結論と一夜漬けの暗記について。

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「考える」とは何だろうか。考えることはできれば多くの人がやりたくないし、めんどくさいと思っていることだ。僕もできれば、考えたくない。考えることは疲れるし、何より、考えるという作業には立ち止まっている感覚がある。進んでいる気がしない。

だから、僕も含めて多くの人は簡単な本を10冊読んで、「考える」という作業を放棄して、達成感を感じたくなるし、たくさん行動して、ちょっとでも進んでいる実感を得たいと思ってしまうものだ。

ほとんどの人間は進んでいる感覚がないと、不安になる。昔の僕もそうだった。毎日、ブログを書いた、本をどれだけ読んだ。こういう進んでいる感覚で一喜一憂して、自分が取っている行動の質については全く言及しなかったのだ。つまり、「考える」ことから逃げていた。

だが、ある日、いくら勉強してもいくら文章を書いても、今までのやり方だといずれジリ貧になるだけだと直感的に思った。

何でかはわからない。ふと思ったのだ。世間で言われている、「行動さえすればなんとかなる」みたいな言葉を昔の僕は盲目的に信じていて、疑わなかった。だが、1年くらい行動し続けてもある程度の領域くらいまでしかいけないことに気付き、僕はその辺くらいから色々と考え始めた。
 

話が上手い人、文章が上手な人、彼らはなぜ上手なのか?なぜ自分とこんなにも違うのか?考えた結果、今の段階の僕で出た結論は人が自由自在にアウトプットできる範囲は何度も反復して定着させた知識か、じっくり思考して、自分なりの結論を導き出した主張だけだということだ。

本で読んだことや誰かに聞いた話はインプットしたてホヤホヤの段階ではアウトプットも容易にできるのだが、これらは引用しているだけで、真に自分の中に定着させられたものではないから、内容について、深く言及するような質問をされたりすると、答えられないのだ。

それにこういう瞬間的なアウトプットで定着させた気になっている知識は時間経過とともに、消えてしまう。つまり、今日せっかく知識を仕入れたとしても1年後には引き出せないということだ。知識も銀行口座のように預けたら、好きなタイミングで引き出す状態を作ることが理想だし、そういう状態を作るために、日々の学習もやっていかなければならない。

昔の僕は間違ったやり方でインプットとアウトプットを繰り返していて、ある日、ちっとも身についていないことに気付き、考え方をあらためた。時間がある程度経つと、昔、アウトプットできていたものができなくなる。それは考えていなかったから。考えるという概念も抽象的すぎる気がする。

考えることが大事なんだ!!みたいなことはどっかのすごい人達が何度も言っているはずだから僕は僕なりの切り口から「考える」ことを考える。僕が思う、「考える」の定義はなんだろうか。
 

今、実際に考えてみた。僕が考える「考える」とは既知の情報と未知の情報を繋げるまでに脳内で思考を張り巡らせることが「考える」ことだと思う。漠然と考えようとしても無理だ。人は何か目的がないと考えることはできない。目的を達成するまでの過程こそが「考える」ことだからだ。

「考える」という作業を経て、それが「わかった!!」となった時が既知の情報と未知の情報がつながった時だ。または抽象と具体の関係で結ぶことができた時のどちらかだ。

最近、僕はエネルギーについて考えいた。エネルギーという漠然とした概念を理解するには何かわかりやすい例えが必要である。

具体的には人生はエネルギー収支をプラスに転じることで安定していくという主張を自分の中で、腑に落としたかった。それを考えたときに、身近な例でイメージして、マクドナルドを食べると50のエネルギーを取り込んで、消化に100のエネルギーを使う感覚があるということをふと思ったわけだ。

こういう日常の具体的な事象と新しく学んだ抽象概念を繋げることができた時、人は理解度が少し高まる。

例外やつなげられないものも出てくるだろうから、100%理解できるということは永遠にないが、何かとつなげられた時、または抽象と具体の関係性で結ぶことができた時、ほんの少しだけ人は理解が促進したという感覚になる。

いろんなもの繋げる、いろんな角度から考えてみることで理解度は少しずつ促進されるのだと思う。

イチローが野球について、いくらでも語れるのは彼が野球をいろんな角度から見て、考えてきたからだ。様々な視点から一つの物事を考えることによって、その一つの物事は圧縮フォルダとして脳内に保存され、資産性を帯びた知識に移行する。わかりやすく言うと、短期記憶から長期記憶に移行するということだ。

圧縮フォルダの中に保存されている情報の密度が濃くなれば濃くなるほど、知識の消費期限が伸びる感覚が僕にはある。
 

たまたま見た知識をその場で、すぐにアウトプットしたからと言って、それらの知識はすぐに消える。大事なのはアウトプットそれ自体ではなく、「繋げる」までに張り巡らせた思考なのだから。

インプットとアウトプットを食事で例えると、食べたものを吐き出すということ。これでは何の意味もない。食べたものを血肉に変えるには「消化」という作業が必要だろう。その消化にあたる部分が脳内に知識を定着させるという観点からいうと、「考える」ということだ。

しっかり考えて、未知の難しい概念でも既知の情報で繋ぎ止める。しっかり、繋がるまで「考える」のだ。この作業をすっ飛ばして、繋がらないから考えるのやーめた。ってなって、繋がらないままとりあえず保存してしまおうとする行為が一夜漬けの暗記だ。理解しないまま記憶に保存しようとするから、すぐに風化してしまうのだ。
 
学生時代はそれでも点数が取れてしまったし、点数を取ることが目的だったから、別に一夜漬けの勉強について何も疑問に思わなかったが、大人になって人生に役立つための勉強をしようと思った時に、一番大事なことは「考える」作業だと僕は確信している。

点数なんてどうでもいいんだから。とりあえず知識を保存しておく必要なんてない。ただの知識は検索すれば出てくるのだから。僕の場合だと、ケッキング山田が使うからこの知識は面白いというものにするためにはじっくり考えて、加工しなければならないのだ。

これが今のところ、「考える」ということを考えてみた僕なりの結論。この問いについてはまだまだ「考える」余地があり、終わりはないと思うので、考え方がアップデートされたら、また更新しようと思う。

疲れたんで終わり。
では。

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