
お金について、ふと思ったので適当に垂れ流す。ブログなんでハードルは下げるし、文字数も少なくなるかもだが、そこは許しておくれ。
日本人のほとんどがお金に執着する。もちろん、生活のためにある程度のお金が必要なのは重々承知しているが、不必要なまでに金銭の貯蓄に彼らは務めるだろう。
だが、実はお金は貯めれば貯めるほど損をするのだ。なぜなら、お金とはエネルギーであり、循環させればさせるほど、巡り巡ってじぶんの元に入り込んでくる金額も大きくなる性質があるからだ。
つまり、手放すのが先。
10手放したら100戻ってくるイメージ。こういうお金の使い方が理想であり、ぼくは不必要な貯金は絶対にしない。適切なタイミングで手放し、ストックしておくくらいなら学びに投資して、知恵に変換させる。
その知恵がさらなる富を運んでくることがわかっているからだ。
そして、学びだけでなく人に贈与することもおすすめだ。気前の良さは人間関係の構築にも大きな力を発揮する。ケチな奴より気前の良い人に人は寄ってくるし、そういう人には何かを返したくなるものだ。
見返りを求めるくらいならやらない方がいいが、なくなってもいいやくらいの感覚で手放すと時空を超えてどこかのタイミングで大きなエネルギーとして戻ってくる。
もらったもの以上のものを人は返したくなるものだから、いくらでも価値を生み出せる情報コンテンツにおいては出し惜しみなんてする意味がない。
それをやればやるほど、機会損失をしている。コンテンツもお金も本質的にはエネルギーであり、これらは循環させればさせるほどよい。わたあめのように巻き込める人の数も大きくなるからだ。
循環させるという意識がない人はお金を価値を提供した対価として受取るものくらいにしか考えていないが、これでは抽象度が低すぎるし、いつか稼げなくなりオワコンになるのは当たり前だ。
エネルギーというのは使わなければ風化していく性質のもので、家と同じだ。
家は人が住み、風が入り、掃除してという循環を起こすことにより、結果的に綺麗な状態を維持できる。逆に人が何年も住んでいなかったら、家は腐るはずだ。家の中でエネルギーの循環が起こらず、家に充満しているエネルギーが枯渇していくからだ。
だから、回転させることが大事。
お金も全く同じで、銀行口座に死んだお金として何年も保管しておけばおくほど、エネルギーは詰まるから、経済的な不安は消えるかもしれないが、充実感はどんどん消えていく。
不安はないんだけど、なんか人生おもしろくないなみたいな状態に陥るのだ。なぜなら、循環を止め、今のステージにとどまろうとしているから。
安全が確保された途端に緊張の糸が切れ、人は頑張らなくなり、思考停止する。
充実感の正体は循環であり、受験勉強して遊んでご飯食べて、運動してみたいなバランスがちょうどよくなった時、人は充実感を感じるのだ。
これは見方を変えれば、上手い具合にエネルギーが循環しているということになる。
ずっと寝ていたり、ずっと勉強していたりみたいにエネルギーの偏りが生まれると、充実感は生まれない。
ベストな配合が大事。
何の話だっけ?
そうだ。
お金は貯めすぎない方がいいよという話だ。
お金は適度に手放し、学びに変えたり、人を喜ばせるために使う。
こういう使い方をすることにより、学びからさらなる富を運んできたり、
喜ばせた人が別の形で何かをもたらしてくれるかもしれない。
不必要に貯金して、からにこもっているうちにチャンスは去って行くし、
成長速度も遅くなる。
そして、人生は停滞していき、同じステージを永遠とループすることになる。
まぁ、巡り巡って返ってくるだろう。
そんな気持ちでどんどんお金は別のものに返還していきたいなと思って、ぼくは今日も生きる。
適当な日記。終わり。
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